カンボジア国内避難民支援活動のご報告 2026年1月28日
- 2月20日
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昨年7月に勃発したタイ〜カンボジア国境での紛争は、一度目の停戦合意がなされた後もタイ軍によるカンボジア領内への侵入・占拠、爆弾やドローン、毒ガスなどでの攻撃が相次ぎ、12月には国境から数十キロ入ったカンボジア内陸への爆撃、海からの攻撃と激化の一途をたどりました。その後ASEANや中国の仲介により再び停戦合意がなされ、12月末以降現在に至っています。
国境線をめぐる両国の長年にわたる軋轢や、どちらが先に攻撃を仕掛けたかといったことはともかく、私のところに伝わってくるのは依然として封鎖されたままの国境、途絶えたままの両国間の人や物の流通、そしていまだに残る大勢のカンボジア避難民といった状況です。
人道的立場から見ても被害を受け支援を必要としているのはカンボジア側だと思われます。
国境付近の村ではタイ人兵士による家屋の破壊、略奪行為が横行し、家に帰りたくても恐ろしくて帰れない人々が大勢いると聞きます。彼らは着のみ着のままで逃げてきて森の中や寺院にテントを張り避難生活を続けており、一年で一番大切な米の収穫もできないそうです。
今回まずはできるだけ正しい現状を把握すること、可能なら実際避難民のいるキャンプを訪ね限られた範囲ではあっても彼らにいま最も必要とされる物を届けたい、という目的で現地を訪問しました。
同行してくれたのは私の長年の友人であり活動のパートナーでもあるスレイマオさんと仲間のヒエンさんで、スレイマオさんは故郷がタイ国境に接しているバンティミンチェイ州にあり、今回の紛争で実家が攻撃の危険にさらされ彼女の家族も避難を余儀なくされました。
彼女の両親は12月末ごろ彼ら自身の強い希望もありようやく家に戻ることができたそうですが、身内で死者や怪我人、家を壊された人もいるそうで、とてもつらい状況の中支援活動に奔走していました。
1月28日の早朝バッタンバンを出発し国境沿いを避けて北上、3時間ほどかけてバンティミンチェイの街に入りました。街の中心にある寺院の内外に簡易的なテントを張り避難している人々が20家族ほどおり、なかには今日自宅を離れ避難してきた人たちもいました。
ちょうど数日前から現地の人々の間で1月27〜29日の間に再びタイからの攻撃があるという噂が流れ、緊迫した状況の最中だったのです。それはまずないだろうという見方の人もいましたが、人々は普段通りの生活を続けながらいつ何が起こるか分からない、という不安を抱えながら生きていました。
次の訪問先である避難民キャンプ地に向かう道中にスレイマオさんが電話で仲間と連絡を取り合い、必要な物資をトラックに積み運んでもらう手筈を整えてくれました。そして訪れた最大のキャンプ地では、パイリン、バンティミンチェイ2州の避難民が集まり約1,500家族が避難生活をしているとのこと、当初は文字通り着のみ着のままで家を離れてきた人が簡易的なテントで暮らしていたそうですが、徐々に環境が改善され中国からの支援で支給されたテントなども立っていました。
ただたくさんのテントが密集して立っており水場やトイレも整備されていない様子で、避難生活が長引けば人々の心身の健康面や衛生面にも問題が出てくることは明らかだと思われました。
キャンプは州庁の直轄下で管理運営されており、支援物資などはいったん倉庫に集約され各家族に配布されるようになっていました。
州庁の方に会ってお話を伺うと、国境地帯の情勢は依然として不安定な状況であり、人々の避難生活も長期化することが予想されるため、彼らが安全に生活できる土地を確保して移住してもらうという計画があるそうです。
しかしそう簡単に人々が長年住み慣れた土地を離れて違う場所へ移り住むことができるのかどうか、またたとえ住む家ができたとしても収入を得る方法はあるのか、仕事がなければ生活していけませんし、田畑もおいそれとできるものではありません。問題は山積みで生活再建の道のりは遠く思われました。
私たちとほぼ同時に支援物資を満載したトラックが到着し倉庫で荷下ろしされました。当座の必要物資として水250ケース、米500キロ、粉ミルク10缶、子供たちのためのスナック菓子、飲料など。その他義援金もお渡ししました。
子供たちには直接お菓子などを渡すため、呼びかけして集まってもらったところどんどん数が増え、どこからこんなに子供たちが現れるのだろうというくらい集まってきて、1,000個以上持参したお菓子が危うく足りなくなるところでした。
いったんスレイマオさんのお姉さん宅に引き上げ次に向かったのは国境近くにある食堂で、そこでは村人が弁当を作り国境線を守っている兵士たちに届ける準備をしていました。一帯は『レッドゾーン区域』内で一般人の立ち入りは禁止されている場所でしたが、人々は定期的に国境地帯で陣を張り警備している兵士たちに食べ物や飲料水、毒ガス防護用のマスクなどの必要物資を届けに行っているようでした。
食堂のご主人と奥さんが集まった弁当をテキパキと小型の台車に積み込み出発すると私たちもついて行き、50メートルおきに設置された土嚢を積んだ兵士たちの野営所を順番に巡り、人数分の弁当と水を配って行きました。今日明日にもタイから攻撃があるかもしれないという状況の中で、兵士たちの表情に悲壮感はなくむしろ自分たちの国を守るのだという気概に満ちていると感じられました。そしてその兵士たちを支えるために、精一杯できることをしようとする村人たちの心意気も感じ胸が熱くなりました。
ここプレイチャン地区から南側の国境線では両国の話し合いが進み、双方合意の上で新たな国境の区分けができ目印の杭が打たれ始めているという話も聞きましたが、北部地域では状況はまだ混沌としておりタイ兵の侵入や略奪行為も止まっていないとのこと、いつまでこのような状況が続くのか見当もつかない様子です。
一方今回のことで、カンボジア人の団結とナショナリズムの機運が高まったように感じられました。タイからの物資が途絶えタイ産品の不買運動が起きたり、食糧や電気なども他国に頼らず自給できる体制を整えられるよう投資が進むなど、経済・外交面でもカンボジアは大きな転換期を迎えているのではないかと思われます。
タイ・カンボジア双方ともお互いに憎悪を抱くことなく速やかに和平交渉の席につき、正当な手続きを経て対等な立場で隣国としての付き合いができる状態に戻ること、そして人々が一刻も早く安心して元の生活に戻れるよう願うとともに、今後の推移を注視していきたいと思います。

























































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