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CEPの目指すもの〜なぜいま仏教なのか

 

カンボジアは、近年めざましい経済発展を遂げています。しかし、その影で環境破壊・精神的荒廃・貧富の格差拡大など深刻な問題が広がっています。この原因は、表面的には政治・経済(システム)にあると考えられますが、それらも人間の心(意識)によって公正にも歪みもするならば、その心を育てる人間形成こそが要中の要であり、そこにこそ仏教の果たすべき重要な役割があると考えます。

 

またカンボジアでは、ポルポト時代に約80%もの僧侶が殺されてしまったという痛ましい史実があり、仏教の伝承が十分にされていません。

私たちはまず、釈尊の説かれた基本的な教えに立ち返り、人が人生を生きていく上で行き当たる様々な苦しみや悲しみを乗り越える方法や、平安な心で生きていくための道標べとしての仏教を、なるべくシンプルな、分かりやすい言葉で伝えていきたいと思っています。

 

仏教を拠り所としながら個々人の中に慈悲と利他の心を育むこと、そしてそのような心を備えた人々が主体的に社会に関わり、皆が幸福でより良い生き方ができるような活動を行うことで、経済発展のみに依存しない「真に持続可能な自立性に基づいた社会」へと発展することを目指しています。

 

CEPの目指すもの〜カンボジアから世界へ

 

今日の目覚ましい科学技術の進歩と資本主義経済システムより物質文明が開花しています。それは、自然法則のくびきから人類を解放し、多くの人々に物質的豊かさと快適さをもたらしました。しかし、核兵器に象徴されるような人類絶滅の危機、地球規模の自然破壊や貧富格差を引き起こし、怨恨、資源、覇権をめぐる紛争も絶えないなど、今や文明の重大なほころびが顕となっています。

 

これに対して、さまざまな方面から警鐘が鳴らされてきたものの未だ有効で抜本的対策が、取られていません。地球環境問題や戦争について国連などでも議論されてきましたが、各国の国益が優先されているために話し合いがまとまらず、遅々たる歩みに留まっています。一方こうした問題に無関心であったり、知りながらも目先の経済的利益のために現実に目をつむる一般市民もその重大な原因のひとつをなしています。

 

釈尊は、四諦八正道(したいはっしょうどう)という教えの中で「苦の真理=苦諦(くたい)」を説いています。このことは、通常「この世は、苦しみである」と言われたと解釈されています。しかし、大事なことは、単なる平板な知識ではなく、

「あなたは、苦しみに満ち満ちているこの現実と向き合いなさいよ」という行為を私たちに求めている点なのです。

 

なぜ釈尊がそういうことを言われたかというと、人々の心の中に「現実から目をそらし快感的なことしか見、求めようとしない人間の性(さが)」があるからです。

これこそが、解決の道=苦しみからの解放(幸福)を阻んでいるものなのであり、

この快感を求める傾向は、実に強烈で離れがたいものであることを知るがゆえに「苦しみの現実から目をそらさずに観よ」ときびしく言われたのです。

 

昔も今日もこの人間の性は、変わることはありません。

物質的欲望に基づく経済活動こそが人類に快楽をもたらすものであり、同時にそれは人類全体に苦しみをもたらしているのですが、そのことに真に向き合う、ということが出来難いがために苦(不幸)をとどめられないのです。

 現在地球規模の危機を困難にしているもうひとつの現実的で重大な理由は、これまで人類に幸福をもたらすであろうと信じ疑われることのなかった大量生産・大量消費・大量廃棄型の経済成長を根本から見直さなければならないからです。それは、これまで膨張によって潤っていた経済を逆にスリムな方向に大転換することを意味します。

 

このことは、ほぼ人類史上かつて経験したことのないない方向性なのです。

このようなことを可能にするパラダイムとは、「物質的依存を少なくしてなおかつ精神的な充足」を実現する仏教のような叡智にしか求められないのです。仏教では、これを「少欲知足(しょうよくちそく)」と言います。

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私たちは、人類の指針として以下の3つのことが大切と考えています。

 

<人類普遍の幸福>

最低限の衣食住が保たれ、他(国・団体・個人)によって人権が抑圧されず、社会や環境との平和・調和がたもたれつつ個性がいかされ、生きがいと喜びがあり、精神的充足感をもてる状態。

 

<幸福を実現するための人としての基礎>

一人ひとりが、すべて世界・地球全体とつながり、お互いどうしともつながりあって生きるかけがえのない存在であることを自覚し、先人の叡智に学び、良心の潜在的源泉を開き、他への思いやりの心を深めると共に、分かち合い助け合う行動が必要である。

 

<その上に、幸福で平和な世界を創る>

どうすれば、人間どうしや社会(世界)の平和、また生物種絶滅や自然・地球環境の破壊を抑制し、調和の取れた持続可能な世界を創ることが出来るかを皆で考え実行する。

 

<快感と幸福の違い~>(参考)

古代の哲人たちは、快感と人間の幸福を分けて考えていました。

今日私たち人類は、このことがとても曖昧になっています。

今日の人類の活動の根底にあるものは、人間の欲望やそれを煽り立てることによって”快感”を実現しようという思想です。

しかし、その考えに基づく特に経済活動は、どうしても強い者が弱い者から奪い、人間の利益のために膨大な地球資源を貪ることとなり、その結果、貧富の格差が広がり、各地で紛争が絶えず、地球環境は回復不可能なほど壊滅的な打撃を被ってしまいました。

このままでは、”人類の幸福”はないということは、いまや明らかです。

”幸福”とは、むしろ欲望へのとらわれから解放され、より自由で充足した精神の状態を指します。

古代の哲人たちは、”人類のほんとうの幸福”とそこへいたる方法(道)を明確に提示してきました。

ことに仏教は、そのことを明瞭に説きあらわしています。

 

私たちは、古代の叡智に学び、私たちが潜在的に持っている人間力を顕わすことを基に、”個人の福””人間どうしや社会の平和””生物・自然環境との調和”という、本当の”人類のしあわせ”の実現を目指したいと思います。

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